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若月先生が亡くなられました

 823日の新聞で、長野佐久総合病院の若月俊一さんが亡くなられたことを知りました。今日お葬式だそうです。今朝、霊柩車が佐久総合病院の周りを回って荼毘に付されたとのことです。

私が若月さんの名前を知ったのは15年ほど前です。私はその頃、「土といのちの会」の活動を書いて、毎日新聞主催の「毎日郷土提言賞」の準大賞をいただき東京の毎日新聞の本社の授賞式に参加しました。そこで、大賞の「せみの鳴かない夏」というタイトルで大賞を受賞された富山県の厚生連にお勤めの方から、“航空防除”や“生ゴミの堆肥化”のことで長野県の

佐久市

を紹介され、佐久総合病院の浅沼先生を紹介ご紹介していただきました。浅沼先生は当時予防医学研究所にお勤めで、先生の紹介で病院や農協、そして堆肥工場などを見学させていただきました。

 

そこで、若月先生には直接お目にかかりませんでしたが、どこを訪ねても若月先生のエピソードが出て盛り上がりました。「お酒に強い」「血液検査をするといつのアルコールが出る」「先生を先頭に旗を立て歌を歌いながら農村へ出向いた」などなどでした。

 戦後はこの辺は大変貧しい農村で病院に来たときはすでに手遅れの人ばかり。これではということで、自から農村に出向き診察をして回ったそうです。それが今でいう“予防医学”の始まりだそうです。先生は戦中の“赤狩り”で東京から佐久の小さな診療所に来て佐久のために力を尽くされたそうです。

 地元の方ではない先生がこんなにみんなから信頼され親しまれているのを見て、私は佐久にいらして何年ですか?」と質問しました。50年ということでした。土といのちの会の活動を始めたばかりの私はそれを聞き「50年は長いなあ・・・私はそんな人になれるだろうか」と思いました。そしてその時「人は高邁な思想や、崇高な理念で動くのではない。人は人で動くんだ。」と強く思いました。

そして先生のお人柄が行政や農協をつなぎ、15年前にすでに川上にある

佐久市

独自の農薬規制や、地元の大豆で作った味噌やしょうゆなどを学校給食に導入、全市での生ゴミの堆肥化も始めていました。病院の前で“まごころ市”という朝市もしていました。(それを見て武生でもと考え、始めたのが今の「土といのちの会・おそんじゃパサージュ」です。

生ゴミ堆肥も佐久ではその頃すでに10数年前から始めたということで、名前は忘れましたがそこを管理していた方は、市内の饅頭やさんのご主人とかで、お店は息子さん任せ、生きがいを持って私たちに熱心に説明してくださいました。

夜は、旅館に農協や市役所の方々も見えて一緒に食事をし楽しい時間をすごしました。佐久は山なので鯉の煮つけや馬刺しが出たのを覚えています。

帰って先生の著書を何冊か求め読みました。その後、浅沼先生にも会の総会に来ていただき食についての講演をしていただきました。

私は「土といのちの会」の活動を始めて15年。航空防除の会から数えてもまだ20年です。

若月先生にはお目にかかっていませんが、私に大きな影響を与えてくださいました。安らかにお眠りください。ご苦労様でした。

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